ヒコーキ
ww2敗戦後、日本は航空機の開発、製造を禁止された。
唯一の日本が開発した航空機、YS11は、GHQによる規制が一部緩和されたのち、
三菱、川崎、富士、新明和など、日本の航空業界の知恵を結集して作成された。
試作機初飛行は、1962年(昭和37年)。
亡母は「お前のおじさんは、このYS11の開発に携わった、覚えおきなさい」と言った。
その詳細は、俺が小さい頃だったため、聞いていない、心残り。
MRJの開発は、航空のノウハウを持つ先人の知恵が失われたあとなんだろう。
日本が敗戦で失ったものは、超大きい。家族単位の暮らし、敬神のこころ、各種技術、
そして「愛国心」。取り返しは付かないものばかりだ。・・しかし、まだ遅くない
(と、思いたい)
三菱リージョナルジェット(Mitsubishi SpaceJet)は、
何故、開発凍結(事実上の撤退)となったのか?
「ノウハウや経験が欠けていた」為、という声明では納得出来ない。
今年の3月に、全ての機体は解体され済みだが、
日本の航空技術って、そんなものなのか?
零戦や紫電改、隼、月光や二式大艇を造り上げた我が国の航空技術とは、
そんなものなのか?
いまいち、納得が出来ない。
311、そしてChinaヴァイルスの蔓延での、旅客機利用者の激減
日本の「不景気」
・・それと、「日本の技術力」は関係ないだろう。
いまいち、納得が出来ない。
(´・(ェ)・`)クマー